「行ったらしぬとわかってる息子を戦場に行かせたくない、逃げろ」

sk2ch
修羅場を語れ
692 : 名無しさん@おーぷん 2015/08/17(月)15:39:33 ID:ekH
祖父の修羅場

戦時中に軍の後方勤務?か何かで軍需工場で働いてた
しかしある時に工場の事故に巻き込まれて負傷
傷が治るまで家に帰されることになった

だがこの時、傷が元で祖父の視力はかなり下がってしまっていた
曽祖父がこっそり診させた医者曰く、長期的にはほぼ回復するが、このまま戦場に行ったらうまく戦えず死ぬかもしれないとのこと

だというのに治り次第早く、元の場所へ戻れという空気が周囲にあり、祖父の身分証等々も地元の駐在に預かる名目で取られていた
傷がどんどん癒えていくのと同時に戦場がどんどん近づいてきてとても恐ろしかったそうだ

そしてほぼ完治して来週にでも戻れという状況になったある日のこと
深夜に曽祖父に呼ばれて祖父が仏間へ行くと幾ばくかのお金と鞄ひとつが用意してあった
「これ持って逃げろ、鉄道の線路沿いに京都行け」と曽祖父が言ったそうだ
散々悩んだが、行ったら死ぬとわかってる息子を戦場に行かせたくない、非国民かもしれんが俺はお前の命が惜しい

曽祖父にぶるぶる震えながら言われて祖父は泣きながら父ちゃんありがとうごめんと頭を下げて飛び出した

そのまま夜通し線路沿いに歩き、更に丸一日かけて京都駅に辿り着いた
腹を空かせて駅構内をふらふらしてるとそこに消防隊の募集があって衣食住付きと知り消防署へダッシュ
身分証等々は無いから半分賭けだったがそこの署長に直談判したらうまく行って採用されて落ち着けた
同情してくれた署長が上手くやってくれて追っ手はこなかったらしい

逃げた後の実家の方もそれなりの旧家であったことと曽祖父が根回し上手だったのでほぼ何もなし
そうして祖父はどうにか国内で終戦を迎えて昭和が終わる少し前まで消防士として奉職
実家の方も当初は帰りづらくあったが曽祖父が亡くなるまでにはちょっとずつ帰れるようにもなった

あの時に曽祖父が逃がしてくれなかったらお前らいなかったかもなあと今年も祖父は遠い目をしている
696 : 名無しさん@おーぷん 2015/08/17(月)17:39:38 ID:xoW
ここのところ終戦70年の番組を続けて観たのと、
玉音放送までのストーリーの映画を観たのとで、じーんと来ました
あの時代に息子の命が惜しいと言えるのって、身内でも渾身の勇気が要ったと思う
sk2ch: 突然ですがおすすめの記事を紹介します

みんなの反応

1:すかっと名無しさん 2017-02-26 00:06:04 ID:OTYwMTc2O
うちの祖父も息子の命惜しかった曾祖父のコネ?で国内にいたらしいよ。
軍は軍らしいけど、何かの研究所にいたらしい。
2:すかっと名無しさん 2017-02-26 00:42:41 ID:MjE1NTE0M
696»
本当にそうだと思う。
3:すかっと名無しさん 2017-02-26 00:57:52 ID:NTI5MjYxM
うちの祖父は身長低すぎて衛生兵に回されて、潜水艦の中でひたすらご飯作ってたって。盲腸になっても麻酔なしで腹切られたって。幸い無事に帰還して、結婚して末の息子は料理人に、孫の私は管理栄養士、私の娘はパン職人になった。祖父は食に携わるのが血筋なのかねと笑ってたね。
4:すかっと名無しさん 2017-02-26 07:52:54 ID:NTUzNzk3N
祖父さんが家に帰ってきた時なんて曽祖父に
「馬鹿野郎!何で帰ってきやがった!」って殴られたらしいからなあ
まあ、本心ではすごく嬉しかっただろうね
5:すかっと名無しさん 2017-02-26 08:52:51 ID:NDY5NTk0M
国のために戦え、か。間違ってないんだろうけど怖いよな。今の自衛隊ぐらいがたぶん丁度いいんだよ
6:すかっと名無しさん 2017-02-26 16:00:54 ID:Nzk4MTkxM
そら、みんなそう思ってるのよ
ただ村八分が怖いからできなかっただけで
集団心理ってのもあっただろうけど子供をタヒにに行かせたがる親なんて今も昔もいないんだよ
7:すかっと名無しさん 2017-02-26 21:12:14 ID:NTQ1MzQzN
まあ、そういう運命だったってことだよ。英霊も爺さんを責めはしない。
8:すかっと名無しさん 2017-02-27 00:26:54 ID:NTg3MzEwN
やっぱり戦争ってクソだな
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